新虎通りのまちづくり

海運業から不動産業へ

東洋海事工業株式会社は1943年、山口県の下関市において、海運・サルベージ・倉庫業を営む企業として創業しました。その後、当時の運輸省に程近い港区西新橋に支店を構えることで東京に進出し、1951年には本社機能を東京に移転させるとともに、大きな発展が見込まれた新橋の地において不動産業にも乗り出しました。その後、サンブリヂグループ設立を経て、現在では2011年に開業した「モメント汐留」をはじめ、都内に15棟のビルを保有していますが、そのうち13のビルがこの新橋・虎ノ門エリアに集中しています。今回「新虎通り」と名付けられることになったマッカーサー道路と呼ばれた開発の沿道にも、3棟のオフィスビルを所有・運営しています。当社では、海を進む船舶 を整備するノウハウは、陸上での施設管理を含めたビル経営においても相通ずるものがあると考え、その理念は不動産業進出以来、今日においても受け継がれています

新虎通り誕生

「新虎通り」の名称決定まで、この道は「マッカーサー道路」と呼ばれていましたが、以前都の担当者から聞いた話では、GHQ占領下で本道路が都市計画決定される1946年以前、関東大震災直後の第2次山本内閣の内務大臣兼帝都 復興院総裁、後藤新平の立案した震災復興計画の中に、現在の環状2号線とほぼ同じ位置に幅員100メートルの道路計画が盛り込まれていたそうです。計画には巨額の予算が必要なため、震災復興計画全体の縮小に伴い、その計画は実行されませんでしたが、1946年の都市計画決定は、戦後復興計画の1つとしての再出発の表れだったと思います。しかし、1949年のシャウプ勧告による地方自治事務再配分勧告及びドッジラインによる財政支出の切り詰め方針で計画の再検討が閣議決定されたことを受け、環状2号線の道路幅員は40mに変更されたうえ、その後、未着手のまま凍結されてしまいました。この話をしてくれた職員は、「本計画を縮小したGHQのマッカーサー道路と呼ぶよりも、オリジナルの『後藤新平道路』とした方が、日本人としてはイメージが良いのでは」と言っていました。

仙台藩出身の後藤新平により関東大震災復興のため計画された道路が、東日本大震災からの復興に全国一丸で尽力していた中で開通し、2016年11月にはこの新虎通りで東北復興のシンボル「東北六魂祭」をまるごと持込み、「東京新虎祭り」として開催に至りました。

まちづくりにかかる当社としては、先人への感謝と、現在と未来に対する使命と責任を肝に銘じずにはいられません。

長期的な視点で実現する

活気あふれる魅力的なまちづくり

西新橋界隈は「サラリーマンの街」あるいは「オジサンの街」と言われながら、虎ノ門・内幸町のような官庁街、あるいは日本橋・大手町のような金融街という特定のイメージがないエリアです。いわば、その多様性こそが魅力と言えます。また、アジアヘッドクォーター特区にもなり、外国人が増えるなど、その多様性はますます高まるでしょう。その中にあって環状2号線周辺は、開催が決定した東京オリンピックの各会場や施設を結ぶ重要な機能を担うわけですから、新虎通りが注目を集めることは間違いありません。しかし、「通り」や「エリア」が活性化するには、そこに人が歩き、集い、賑わい続けることが重要です。そして、その基本となる街並を形成する建物には、人々が利用して「動的変化」するものと、大切に保存すべき「静的変化」の望まれるものがあり、それぞれの時間軸で変化していきます。また、そこで暮らす住民や就業者も、様々なライフスタイルを持ちながら、それぞれの時間軸を持って生活しています。これらのスタイルと時間軸が合致して、地域全体が「魅力あるまち」となるには、50年、100年という時間は決して長いものではないと思います。

「エリアマネジメント協議会」も発足し、いよいよこれからというのが実情です。また、まちなみのリニューアルを「建築物」という視点だけで捉えると、その時々の要求に応じるだけの短絡的なものになりがちです。永く魅力的な街であるためには、交通網の整備や平面的・立体的な地域内動線の確保など、建築物が将来的なまちの変化にいかに対応するかを模索するといった試みも必要でしょう。加えて、人々のコミュニケーションをソフト面で高める努力も必要で、地域のお祭りなどに代表される行事については、永く愛着の持てるまちづくりには欠かせないものです。コミュニティの更新性、継続性の向上を図り、NPOや町内会、エリアマネジメント協議会等も活用しつつ、地域で生活する人々の心が繋がるまちづくりを考えていきたいと思います。

すでに、江戸職人文化を実体験する大人(オジサン)のキッザニア「オッザニア」をまちで展開し、エリアの人々を結んでいこうというアイデアも出ています。

地域重視で実現する

地に足をついたまちづくり

当グループは、不動産事業の開始当初から1棟1棟のビルをきめ細かに運営し、いわゆる街の再開発を担うデベロッパーとは一線を画しています。

一方、新虎通り沿いに保有する6東洋海事ビルは、建設時やリニューアル時に環状2号線開通を視野に入れており、通り側に出入口を設けています。今後も一気にスクラップ&ビルドを行う予定はありません。とはいえ昨今、街の発展を見越した移転が増えており、このビジネスチャンスを逃す手はありません。

こうした状況を踏まえ、オフィスとして現在求められる機能を備え防災性能の高いビルであることはもちろん、将来のハード・ソフト面におけるニーズの変化にも、適宜、柔軟に対応できる更新性、リニューアル対応のし易いビルの実現に努めていきます。

また、先に述べたソフト面でのコンサートや防災展示会、夏祭りなど、当グループで街づくりイベントを積極的に運営するだけでなく、町会との共同開催や協賛イベントなど、周辺地域の方々に喜んでもらえるビルになりたいと思っています。

このような活動を通じてエリアの価値が上がれば、まちで働く人や遊びに来る人が増えていきます。視野を広く持ち、お客様や地域の方々を含むあらゆる関係者のニーズを把握し、そのニーズに対し迅速に応えるビルを運営し、提供する意識を高く維持することが課題であると考えています。

​(参考 BZ空間)​